2005年 09月 27日
ビキナーズラックとひがみっぽい私の懺悔

初めての本『アイ ラブ ヌーヨーク』が出版されて4ヶ月がたつ。たぶんそうなるんじゃないかとは思ってはいたけど、予想通りに何も起こらなかった。奇跡みたいなバカ売れもしないし、メディアで取り上げられたり、そんなことは全くなくて、もう本当にきれいなくらい、私はヌーヨークに行く前のような日常に戻っている。
違うのは、本を書いたことで後戻りできなくなってしまったことだけだ。
本を書いていた時、世の中にこんな楽しいことがあるのかと思うほど、信じられないような幸福感を味わった。それは本当に不思議な感覚で、ものすごく冷静に文章を組み立てているのに、どこか時空の感覚がないような感じで。ライターの仕事を始めて10年以上たつけれど、そんな気持ちになったのは初めてだった。
だから、怖かったのだ。もう二度とこんな気持ちにはなれないんじゃないかって。それだけあの本は私にとって特別な存在で、いってみれば私のこれまでの生活の総決算みたいなもので。それは裏を返せば、アフヌー・ヌー本の自分が真っ白な状態になってしまったことでもある。もうビックリするほど空っぽだ。書きたい気持ちだけがあふれてあふれて止まらない。それはまるで、けだものが自分の中にいるみたいな感覚だ。なのに何ひとつ書けない。どんどん焦っていく自分。焦れば焦るほど、もっと書けなくなる。
その一方で、今でも本を読んだ読者からメールが届く。直販という営業的な壁で、大半の本屋さんでは扱ってもらえない私の本だけど、オビにURLが載っているせいもあってか、読んでくださった方の声を直接聞く機会がとても多い。そして、そういうメールはたいてい賛美の声で、「元気をもらいました」とか「答えが見えてきました」とかそういった内容で、こちらが申し訳ない気持ちになるほど褒めてくださる。
私は褒められることに慣れてないから、そういう言葉をもらうと泣きたくなる。ごめんなさいって謝りたくなる。自分はそんな褒めてもらえるような人間じゃないんです、ホントは私のほうが皆さんから元気をもらっているんです、素の自分は元気な時より落ち込んでいることのほうが多くて、えらそうなこと何も言えないんですって伝えたくなる。本の中の私は私の一部ではあるけれど、私の全部じゃない。名前をカタカナにしているのも、別人格としてスイッチを切り替えるためだ。だから、本の中の私を好いてくれるのはとても嬉しいのだけれど、文章の中の自分と現実の自分がどんどん乖離していくようで、時々こわくなる。
そんな風にいろんな感情がごちゃごちゃごちゃごちゃして、この4ヶ月間は悩んでいることのほうが多かった。この先どうやって生きていったらいいのか、何を書いていけばいいのか。あの本を書けば元戻りで楽になれると思っていたのに、書いたことでとんでもなく遠いところに来てしまった。そして、途方に暮れてしまったのだ。
でも、ここ1週間ほどで、いろんなことが変わってきた。動きだしたというより、あちこちに流れ出していた支流をせきとめて、本流の流れに勢いをつけることに集中し始めたというのか。まわりのことを聞くばかりじゃなくて、もう一度シンプルに、心の声を聞くことを始めようと思う。
初めての本は何もかもが新鮮で楽しい!って感じだったけど、書き終わったことで書くことが自分にとって何よりも大事なことだって気づいてしまった。気づいてしまったらもう元には戻れない。これからはもっと真摯に、真剣に、取り組んでいかなければと思う。
そして、たとえわずかでも確実に巡り会えた読者がいて、その人たちは私が思っていた以上に何かを感じてくれて、本を通じてめぐり会えたいろんなことは本当で、それはとてもとても幸福なことなんだと思う。ひがみっぽい私はいつもそういうことをないがしろにしてしまう。「買うことはアドマイヤ(賞賛)だ」と誰かが言っていた。私のしたことに対して誰かがお金を出し、時間を費やし、喜んでくれた。そのことをもっとちゃんと受け止めなきゃって思う。
ごめんなさい。そして、ありがとう。これからもがんばります。
by akiedayumi
| 2005-09-27 09:22
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