2005年 09月 29日
考えすぎ警報
いやはや、前回アップした内容のせいで、いろんな人にご心配をおかけしてしまったようです。すいません。また同じことしちゃったな。
私にとって書く、書けるということはつまりもう過去の話なんです。要するに、暗い話を書けている時点で既に「その暗い場所」から離れている、ということ。読む側にしてみれば「そんなこと言われたってさー」と思うでしょうが、私にとっては通過儀礼として大事だったりするのです。とりあえず、話半分でスルーしていただけるとこれ幸い。
おちこんだりもしたけれど、私は元気です。
陳謝のあらわれとして、糸井重里氏の名コピーをパクってみました。
先日、とある方からいい話をたくさん聞きました。その中で最も印象的だったのが「考えにすぎることはない」という話。
よく「考えすぎかもしれないけど…」と言うけれど、「考え」に「すぎる」ことはない。数学の方程式を解くように、ベストな答えを出すためにはどれだけ考えてもいいはずだ。だから、考えすぎていると思うことは「考えなくてもいいこと」または「考えていない」のと同じであり、本当に考えなくちゃいけないことを考えていないんだと。
「考えすぎていることは、考えなくてもいいことだ」
しびれるような名言でした。
こういう強い言葉に出会うと、頭がスッキリしますな。
私にとって書く、書けるということはつまりもう過去の話なんです。要するに、暗い話を書けている時点で既に「その暗い場所」から離れている、ということ。読む側にしてみれば「そんなこと言われたってさー」と思うでしょうが、私にとっては通過儀礼として大事だったりするのです。とりあえず、話半分でスルーしていただけるとこれ幸い。
おちこんだりもしたけれど、私は元気です。
陳謝のあらわれとして、糸井重里氏の名コピーをパクってみました。
先日、とある方からいい話をたくさん聞きました。その中で最も印象的だったのが「考えにすぎることはない」という話。
よく「考えすぎかもしれないけど…」と言うけれど、「考え」に「すぎる」ことはない。数学の方程式を解くように、ベストな答えを出すためにはどれだけ考えてもいいはずだ。だから、考えすぎていると思うことは「考えなくてもいいこと」または「考えていない」のと同じであり、本当に考えなくちゃいけないことを考えていないんだと。
「考えすぎていることは、考えなくてもいいことだ」
しびれるような名言でした。
こういう強い言葉に出会うと、頭がスッキリしますな。
by akiedayumi
| 2005-09-29 07:52
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